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ミヒャエル・エンデ! 

中学の時に、エンデの「モモ」と「果てしない物語」を読んだ覚えがあるのですが、実家には私が
個人所有するエンデの作品がなかったので(母親所有の「モモ」ならあった)、多分(私にしては珍しく)
学校の図書館で借りて読んだのかなと思いました。

いきなりなんだ、と思われたかも知れませんが、研究室の某氏がブログで時間ねぇと言ってたので、
急にマイスター・ホラとカシオペイアに会いたくなったという話。
買おうかなあ、ハードカバーで。エンデはハードカバーで読むにかぎるよね、と、はてしない物語を
読んで思いました。あの物語は本の装丁と重みと質感があってこその中身内容だと思う!
モモのコンセプトもいいよね。急げば急ぐほど時間の進まない部屋とか、時間を「盗む」とか、比喩で
よく言われる表現をそのままの意味で物語に組み込んである。

エンデのよさは、現実と非現実、物語を読んでいる自分と登場人物に感情移入している自分との
境目が自然に巧みになくされていくところだと思います。きっと、こういうことを言うと、また「けろは
妄想の中で生きてるから」とか「またそういう夢みたいなこと言って」と言われるんだと思いますが、
むしろそういう体験があるのはひとよりすこしだけしあわせな、価値のあることだと思っています。
負け惜しみじゃなく。
モモを読んだらすぐまた最初から読み返したくなるのも、はてしない物語を読んだあとの喪失感が
半端なかったのも、物語に入ることができたからなんだろうなあ。

一般的にこういうのを感受性が強いというらしいですが、感受性が強いは誉め言葉じゃないと思う。
だって、感受性が強い=感覚が鋭いの意味なら、感受性の強い子は「域値の低い個体」、つまり
些細な刺激にも敏感な「傷付きやすい弱個体」って意味にもなってしまう。
美しいものを美しいと、きれいなものをきれいだと評価する程度の感受性なら誰だって持っている筈。
それを表に出すか出さないか(出そうとするか出すまいとするか)の違いで、感受性の強い子とそうで
ない子がわけられているような気がしてならないのです。それと同時に、汚れや痛みに繊細だとか、
無菌培養されたみたいな言い方で「感受性が強い」と言われると、単に刺激に対してわかりやすく
反応するラットと同じ扱いをされてるような気になる。

――という風なことをひたすら考えていた中学時代だったのですが、当時の国語の先生にエンデを
読んだ感想を(前述のような感じで)話したら、その先生は「いい体験をしたね」「今のうちにそういう
体験ができた子はトクしてる子だよ」と笑って言ってくれたのでした。
この時ほど小学生来ずうっと「感受性が高い」だのなんだのと評価されつづけてきた自分の感受性の
強さが自慢になった瞬間は、あとにもさきにもないと思います。できるなら、今またエンデを読んでも、
読み終わったあと中学時代と変わらぬ感想をもっていたいと思うわけです。

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[ 2009/05/30 01:47 ] 小説系 | TB(0) | CM(0)

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