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書きためていたこと! 

ずうっと書きためていたチラ裏を放出。まさかのこのタイミングで。自重? しないよ?

まあ、よく考えたらここはもともと私の城な訳で、何を言ってもわるくないと信じて投下するよ!
読んでていやなきもちにになったらすぐ別のページにジャンプだよ!

批判があれば甘んじて受けるよ! それは違うと、私はこう思う、と、言っていいんだよ!
でも、私だって叫ぶよ! 私が信じるのはこれだよと叫ぶよ!

******

今こうして考えているようなことは、おとなになったら思考回路ごと消えてしまうと思っていた。
そしてそれはきっとただしい。

******

私の生息域にはいろんな文字書きさんがいるわけですが、みんな文字の使い方が奥深いです。

でも、あきらかに誤用だっていうものはきっとない。だって文字はいかようにも使えて、いかようにも
解釈できるわけだから、一見誤用のような文でも、なにかしらの意図のもとにその漢字が使われて
いるはずです。謎解きみたいでおもしろい。そう思って読んでいます。

******

「中高生の書くモノには、学園モノが多い」って本当だったんだなーと今更思います。
じぶんは中学も高校も、学校にまつわるときめきだとかわくてかだとか体験してこなかったクチで
(部活ばっかりに興味が向いてたから、クラスのひとの名前と顔が半年かかんないと覚えられない)
そういう学校たのしい的なモノって書けないです。舞台としての学校は書けるけど、学校行事に
まつわるナントカとかイベントごとにたいするナントカとか、そんなに楽しそうに書けません。

だから、中高生さんの書く学園モノは勉強になります。私は学校での思い出はほんとうに少なくて
規則を破って屋上に上がったことも、友達とばか騒ぎしながら廊下を疾走したことも、嫌いな先生を
こき下ろしてゆかいなきぶんになったことも、彼氏彼女といちゃこらしたこともありません。

私の「学校」は、部活と音楽で埋め尽くされていて、それがとてもここちよかったから、それ以外の
たのしさを知らないので、共感なんてありはしなくて。
だから、そういうことができて、そういうことを惜しげもなく文章にできる中高生さんたちはすごいなと
思います。

******

オリジナル亜種は絶対書かないし、鏡音も書かない。ギャグも書かなければ、パロディも書かない。
「鏡音」「亜種」「ギャグ」「小説」「悪ノ」「学園」「学校」――そういったキーワードをことごとく外し、
一話3000字はくだらないものを投下し続けて、あの場で私はどれだけ評価されることだろう。と、
思うことがあります。読まれているのだろうか。彼らに。それほど敷居は高くない、しかし、形式美は
あるものなのだと、そう思ってもらえるだろうか。過去に、私がそうだったように。
すこし気をつけるだけで、なんとかなるのだと、思ってもらえないものだろうか。

ケータイ小説。顔文字入り。擬音語と擬態語ばかりの文。私が小説と認めない書き方たち。

小説ってなんだっけ。
やっぱり、紙になって本になって、やっと小説は小説たるんじゃないかな。
でも、ケータイ小説は、紙になっても、やっぱり小説じゃなかった。
あれは、きっと、書きたくて書いたものじゃない。構ってほしくて書いたものじゃないかって、思った。

******

思想や神さまを妄信するのが宗教なら、人を妄信するのも宗教と変わらないと思うんだよね。
すごいひとの言ったことは、みんなただしいことなのかな。

正義なんて、それぞれでいいものじゃないのかなあ!

******

ぶつかることの何が悪いのさ。
ぶつかり方は考えなきゃいけないけれど、衝突自体はわるいことじゃないと思うんだ。

******

衝突を避けた穏やかな生き方をする、それも正義。
衝突の先に新しい見地を得る生き方、それも正義。

おしつけられたくない、おしつけたくない。
私の正義は私だけのものだから、誰にも侵されないけれど、
私の正義は私だけのものであるがゆえに、他人への効力をもたない(もたせたくない)。

正義の旗印にされたひとは、どんなきぶんだろう。
願ったりかなったりなのだろうか。

それがきもちのわるいことだと、思わないのだろうか。

それとも、旗印になんてなれないほど、私が矮小な者だからそう思うのだろうか。
なりたいとも思わないけれど。だって、そんなの、きもちがわるすぎて泣きそう。

******

ああ、でも
正義なんて、もってしまった時点で、私は私を崇拝する宗教に入信したのかもしれない。

******

揶揄したくなるってことは嫉妬してるってこととニアリイコールだと思ってます。
つまり、私は私ができないことをしているひとたちに嫉妬しているのです。

私が書けないモノを書く人たちに。私が書けなくなったモノを書く人たちに。
私ができなくなった書き方に。私ができない書き方に。それが評価されている人たちに。

誰にでも受けのいい文章なんて書けない。です。

******

評価されることが目的じゃない。
でも、好意的な評価・共感・その他私がここちよいと感じる反応は、欲しい、と、思う。
それはなんてわがままで自分勝手なことだろう。自分がここちよいものを書いて、それが他人にも
ここちよいものであることなんて、とてもすくないはずなのに。

******

メッセージ性って、どうすれば上手にお話に盛り込めるんだろう。と、思って、考える。

そもそも、私は「伝える」ってことに無頓着な気がします。言葉の使い方がなってない。より正しく、
正確に「描写」することに心血を注ぎすぎて、肝心の「伝達」のほうに心が向いてない。
ここまできれいに正確に表したんだ、あとは読み取ってください。みたいな、一種のあきらめのような、
一種の自己防衛のような、一種の責任転嫁のようなものが、じゃまで仕方ないと思う。
これは言葉の本質とずれている。もともと言葉は伝えるためのものだったはずだ。

もしかして、ほんとうはなにも伝える気がないのかもしれない。
「私はいまこんなことを思いました。好きに解釈してもらってかまいません」
それはただの自己満足だけれど、他人に害を与えうる自己満足だ。

******

どうしたら伝わるだろう、どうしたら伝えられるだろうと思いながら、
「他人に大きく影響したくない」
と、その一点だけが、伝えるすべを探すことをも鈍らせる。

「他人に大きく影響したくない」一番の理由は「責任転嫁されたくないから」。
「あのひとのおかげで」と「あのひとのせいで」は、紙一重だと思う。

誰が何を書こうが喚こうが叫ぼうが、そんなの、私の責任じゃない。
勝手に感化されるのも結構だし、勝手に共感してくれて構わない、でも、
それは全部私のせい、じゃ、ないよね……?

******

最近、不満の溜まり易いからだになってきました。上手に発散できません。
発散しないで腹にため込むすべを覚えました。でも、それってすごく不健康なことだなあと思います。
私にとってのカキモノは、不満をうまく昇華するすべでもあったのに、不満に思った事柄を、誰かに
向かって暗に示せるいい機会でもあったのに、どうして、どうして。

何も変わってないじゃない。モノを書き始めた頃から、ずーっとずーっと変わってない。
うまく発散できなくて、それをなんとかしたくて書いて、全然伝わらなくて破り捨てて。

何も感じなくなることがおとなになることなら、おとなにならなくてもいいと何度宣言したことか。

でも、どうだい、20歳を超えた私は、確実に感覚が鈍ってきているじゃないか。
あんなに鋭敏だった、鋭敏過ぎてぴりぴりしているくらいの私はどこへ行った。

******

いちいち、自分の考えたことに対して、

こんなこと言ってなんになるのさばかみたいばかみたい病気じゃないのただのガキじゃん

とか、思ってしまうのが、つらい、と、思う。

ばかなんだろうか。こんなこと考える方がおかしいんだろうか。言わなければいいんだろうか。
他人の目を気にして他人の気に入るように生きるべきなんだろうか。
自分の意見なんかなくなっちゃえばいっそ楽に生きれるんだろうと思う。
なにも考えなければとっても楽に生きれるんだと思う。
言われたとおりハイハイ言って生きてたら、とっても楽なんだと思う。
それでも周りに嫌われないように、周りが私を嫌わないように生きるべきなんだろうか。

それとも周りなんか気にしないで、自分だけで生きて行けというのだろうか。
そんなことができるはずもないのに、それは絵空事だというのに、いっそひとりなららくに、と、
思う方がどうかしている。

******

私は、私が生きてるうちに、誰かに不快感をあたえないことなんて、できない。
読み手を欺け。書き手を唸らせ。それができたら――できたらなんだろう。何か変わるかもしれない。
何か変わるかもしれないけれど、何も変わらないかもしれない。
何も変わらないかもしれないけれど、自分の何かが変わる、可能性だけでじゅうぶん先はあかるい。

******

一挙手一投足に3行もつかうのは冗長なのか。「笑った」「怒った」「悲しんだ」とひとことで済ませる、
そのほうがいいのか。そうして会話に文字数を裂けばいいのか。

どう、いいというのか。
受けがいいというのか。読みやすさがいいというのか。軽さがいいというのか。なにがどういいのか。

書いて書いて、その目的はなんだった。それを達成してこそいいといえるのではなかったか。
さてその目的はなんだったろうか。評価されることではなかった。読まれることでもなかったはずだ。
それなら何が目的だったか。

吐露だ。

感情の吐露だ。口では言えない本音を紙に吐きだすことで、私はここまで大きくなったじゃないか。
そうだ、吐露だ。それを、見目よく仕上げて外に出したら、存外の共感をいただいた。だから、もっと
書いた。吐露をきれいに仕立てて、見てもらうために書いた。私はここにいてこんなことを考えて、
それでこんな風に表現するのだと、思って、書いた。

それなら、第一義は、思ったことをすなおに書くこと、本音を文字で書くことだ。
そして、人に見てもらうのは二次的な意義、そこに共感を求めるのは更に高い次元になる。

かんたんなことだ。
私は、私の思ったことを殺さないために文字で残していたのだから、今後もそのように書けばいい。

******

知識をひけらかすためではなく。かまってもらうためではなく。
私は私の思ったことを、「こんな風に考えるひともいるのだ」と、言うために、書きたい。
どれも間違いなんかじゃない、どれも正しくなんかない、そもそも正誤なんか存在しない。
だから私は、書けるのだ。

口で言うことばは苦手だから、その文字を連ねた文という領域で、私は、やっとものをいえるのだ。

******

今こうして考えているようなことは、おとなになったら思考回路ごと消えてしまうと思っていた。
そしてそれはきっとただしい。

[ 2009/12/11 00:00 ] 小説系 | TB(0) | CM(5)

こんにちは。

どうもこんにちは。sunny_mです。
実は以前からこっそり、ピアプロから飛んできて、こっそりこっそり読んでました。
こっそり。が基本姿勢な私なのですが。
なんだかとても響いてくる記事だったので、コメントを残します。

私は(年齢的には大人といえる)今でも昔と似たようなことを考えているなぁ。と。
きっとこの思考回路は、消えないんじゃないかな。と私は思います。
ただ思考に対しては、時が研磨してくれたので、そこそこ丸みを帯びてきたような気が、します。
(気がするだけかもしれないけど)
削り過ぎないように、だけど曇らないように。
そうやって生きていくしかないのかなぁ。って私は思うのです。

なんか長々と、説教臭くてごめんなさい。
これだからおばちゃんは嫌だね(笑)
[ 2009/12/13 21:52 ] [ 編集 ]

いろいろ

考えてるんですね(・ω・)

 こんなこと言ったら「てめぇに私の何が分る」といわれそうですけど、けろさんは私の知っているなかで一番自分に厳しい人だなと思います。正直、太宰治みたくいつか自殺しちゃうんじゃないかと不安になったときもありました。

 けろさん大学生になって変わりましたね。大人になったというか、視野が広がったというか、表現もとても豊かになったし、とても尊敬します。文章もそうだけど、人柄ていうのかな。うん、確実に私はあなたに影響されていますよ(笑)。誰にも影響を与えたくないと思っていた(いる?)貴女にとって、私の言葉はただ、不快を与えるものにすぎないかもしれませんけど。
 
 でも、影響を与えたことに責任を感じることはないと思う。責任転嫁だなんて誰もしないし、してはいけないと思う。だって、影響を与えたことがきっかけで、その人の行動が変わったとしても、実際にアクションを起こしたのはその本人なんだから、そのアクションに対して責任を取るのはその人本人でしょ?それが「自己責任」なんじゃないかなと、今は思ってます。あれ?意味ちゃんと伝わってるかな?一概には言えないのかもしれないけど、少なくとも、今の私はそう思います。一概には言えないのかもしれませんが。(大事なことなので2回言いました)

 けろさんの文章見て、いつも考えてしまいます。思考のきっかけをくれてありがとう。
[ 2009/12/14 01:05 ] [ 編集 ]

れすれす!

コメントありがとうございますー!

sunny_mさん>
ふおおお! こっそり見ていただいてた! ありがとうございます!
というか、こんなチラ裏に響いていただいてありがとうございますというか申し訳ないというか(´・ω・`)
自分も年齢的には大人になりましたが、根本的には変わってないと思いたいです。でも、ちょこっとずつ
感じ方とか考え方が変わってきているような気がします。丸くなったと言えば聞こえはいいですが、
どこからが鈍麻でどこからが柔軟性なのかはかりかねているのです(´・ω・`)
だからまだまだじぶんはガキだと思うのですよね(笑

フェルト>
おwwwwまwwww 私が何も考えてないみたいなタイトルにすんなwwww
24歳位で死ぬかもとか言ってた時期もありましたね、ナツカシス(´ω`) でも死ぬなら太宰みたいに
誰かを巻き込む死に方じゃなくて、こころに出てくる先生みたいな、猫みたいな死に方をしたいとこ。
人柄変わったかなあ。そんなに変わってない気もします。むしろフェルトが変わったんじゃね?
こうして誰かのおかげで生きてる以上、私とかかわる誰かがいる以上、誰にも影響を与えないことは
できないと思ってるので、影響の有無そのものについてはあきらめてますが、あんまり大きく影響を
与えてしまうことはしたくないというだけです。適当に受け流してくれる程度がいちばんです。
「責任転嫁だなんて誰もしない」と言うけれど、じゃあ、教師に理不尽な要求をする保護者なんかを
考えてみなよ、それは保護者側の責任を教師に転嫁する内容のものだって多いときくよ?
教師がそこまで対応しきれない要求までされる場合もあるのだってきくよ? 子どもに対して責任を
負わなければならない立場のおとなですら、自分の責任を丸投げするひとだっているんだよ。
私は、先生というのは影響力が大きいという意味で、とても怖い職業だと思うし、自分はなれない、
なりたくない職業だと思う。あ、意味は伝わってるよ。だいじょぶ。でも、私は「自己責任」の原則が
通用しない相手にまで、大きな影響を与えてしまって、その責を負わなければならない事態になるのが怖いんだ。

いろいろ考えてください。多分、フェルトは今がいちばんものを考えられる時期だと思うし。
[ 2009/12/15 00:10 ] [ 編集 ]

責任転嫁だなんて誰もしない

 すいません。そんなわけないですよね。いろんな考え方の人が世の中にはゴロゴロいるんだ。そうだった。私は(けろさんに対して、ある一面からだけで)責任転嫁することは誰も出来ないといいたかった。至らない表現で誤解を招いてしまいました。
 
 人柄か。わたしこそそんなに変わってないと思いますよ。ただ前より言いたいことを言葉にすることが出来るようになったぐらいかな。それでもまだまだだ。

 責任の問題は難しいです。ときどき悩みます。どこまでが「私の責任」なんだろうって。

 先生の持つ影響力が大きいのは6~15歳の9年間は生活の大部分が「学校」だからだと私は思っている。今は教育がすごく注目を浴びてる時代だし、「先生」は聖職だっていう意識がまだあるとおもう。(だからこそ先生がらみの汚い事件はみんな落胆するんじゃないかな)
 学校や教育が軽視されるような時代になれば(ならないとは思うけど)、先生の影響力ももしかしたら変わるかもしれない。でも、まぁ今のところは大きいか。

 でも影響が大きい、大きくないは結局、その人個人の受け止め方の問題だと私は思う。
 もちろん、まっさらな知識も何もない人間に、先生の考えを「種」をまくという意味では、先生の持つ影響力を軽視してるわけじゃないけど・・・・・・結局はそういうことだと思う。
 
 こちらが心血注いでも届かないこともある。何気ない一言で救ったり、奈落の底に突き落としたりもできる。結局、人は人を変えることは出来ない。それは結果としてそうなるだけで、変わるのは本人だもん。たぶんそういうことだと思う。でも、だからこそ先生業やるからには、生徒には人生をかえるような「きっかけ」を作ってあげたい。
 自分が与える影響が大きくなることは、私も怖い。でも、私はそう思うのは間違いじゃないと思う。むしろ怖がるぐらいでないと、謙虚さを失って、傲慢で自己満足な先生になる。私が一番なりたくないのはそういう先生です。


 長文しつれいしました(´・д・)
[ 2009/12/15 01:54 ] [ 編集 ]

れす!

コメントありがとうございますー!

いろいろ考えてえらいが、そういうのはブログでやれ。と、言おうと思ったら既にブログに書いてあった件(笑
まあフェルトのたしになったならさいわいです(´ω`)
[ 2009/12/15 16:12 ] [ 編集 ]

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