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読書について! 

今更ながら1Q84のBOOK1を読んでます。実質昨日から読み始めて、いまやっと半分きたくらいです。
母親から「あんたにしては読むの遅いね」「もしや期待したほどではない?」と訊かれました。
たしかに、海辺のカフカだって2日かからなかったような気がするし、ノルウェイの森は一晩と
中学校だか高校だかの始業前の時間だけで読み終わったけれどさあ!
とりあえず、期待通りにおもしろいことと、いつもの村上春樹だということを伝えておきました。

******

しかしながら、村上春樹の本を読むにはあたまをつかう。

読んでいて気になるワードが多すぎるのだ。例えば124ページで述べられているような、勘と才能の
ちがいについて。才能があっても飯をくえるわけじゃない、しかし勘がはたらけば食いっぱぐれない。
おおまかにいえばそんな記述があって、私はそこに時間を費やした。
自分は「才能」とはうまれつきそなわったもの(またはものごころつかないうちから育まれたもの)で、
「勘」は経験の蓄積によって、いわば後天的に獲得される、個人内の確率論の一部だと思っていた。

だから、その意味をとりあぐねて、未だに引っ掛かって戻ったりしている。でも、「ストーリー上は
とくにひつようがない」記述なので、初読でもあることだし、あまり深く考えずにストーリーを追う。

でも、どういうわけかやっぱり気になるので、村上春樹を読むときには、傍らにメモが欠かせない。
メモのない時、あるいは腰を据えて読めないとき、村上春樹は読んではいけないと思う。

村上春樹の作品は、読み終わった後に深い感慨があるけれど、同時になにかだいじなものを落として
忘れて来てそのままにしてしまったようなきもちになることがある。とくに長編のあと。
だから、メモを取るようにしたのだけれど、やっぱり忘れ物感が残るのはふしぎだなあと思う。

******

「ストーリー上はひつようない」と書いたけれど、だからといって、それが「全体的に不要」では
ないのだということをご注意されたし。そもそも、書物の中に不要なものなんかないのだから。
一見無駄だと思われるものでも、その「無駄なように見えること」じたいが重要だったりする。

書物というのは、書物が書物であるというだけで、既に完璧なもの。完結していて、完全なもの。
あくまでも概念的には、だけれど。

そういえば、ものごとにはかならず終わりがあるんだよ、という記述もあった。はっきり終わりだと
表示されていなくても、終わったことがわかることがある。たとえばはしごの最後の段とか。

そういう意味で、書物という物体は、はじめとおわりをきちんと明示した完璧なかたちをしていると
思う。中身が「つづく」であろうと「待て次巻」であろうと、本を閉じたらその本には「終わり」が
きているのだ。なにかとくべつなことをしないかぎり、本は文字の面が見えるような状態で開き続けて
いることはできないし、また、そんなとくべつなことをする必要性のある人は、あまりいないと思う。

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というようなことをひたすら考えながら読むから進まないんだよッ!

[ 2009/12/29 21:07 ] 小説系 | TB(0) | CM(0)

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